大覚寺①嵯峨天皇と弘法大師さま
2015年春の大覚寺です。桜の名所でもあり、枝垂れ桜が美しいです೭੧(❛▿❛✿)੭೨
正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所とも呼ばれます。
最近では、女性向けの愛染明王写経セットも売られており、つい可愛くて写経をしてみたくなる感じでした。
WEBでも通販しており、私も近いうちに買ってみようと思います೭੧(❛▿❛✿)੭೨
遷都から15年、大同4年(809)に即位した嵯峨天皇は、律令よりも格式を中心に政治を推し進め、ようやく平安京は安定をみる。 一方で嵯峨天皇は、都の中心より離れた葛野の地(現在の嵯峨野)をこよなく愛され、檀林皇后との成婚の新室である嵯峨院を建立、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。
嵯峨天皇は、唐の新しい文化を伝えた入唐求法の僧侶たちにも深く帰依された。その代表が弘法大師空海であり特に恩寵を賜り、弘仁7年(816)には高野山開創の勅許を得、同14年(823)には東寺も下賜され、真言宗の立教開宗に至った。
弘仁9年(818)の大飢饉に際して嵯峨天皇は、弘法大師の勧めにより一字三礼の誠を尽くして般若心経を浄書され、その間、檀林皇后は薬師三尊像を金泥で浄書、弘法大師は嵯峨院持仏堂五覚院で、五大明王に祈願した。このときの宸筆・般若心経は、60年に一度しか開封できない勅封心経として現在も大覚寺心経殿に奉安されている。
嵯峨天皇も平安京を安定して治めるべく重要な御役目を果たせるから、生まれるべくして任せられたお方だったのでしょうね(❛ᴗ❛人)✧今の京都の礎を作られたのだと思うと素晴らしいです!唐より帰られた弘法大師さまたちに深く帰依された事も、後々まで良い影響を与えていますね(❛ᴗ❛人)✧
そしてやはり弘法大師さまといえば、明王さま(❛ᴗ❛人)✧こちらには5人の明王さまが勢揃いされているのも見応えがあります。明王さまについては、また長くなりそうなので、次回以降に書いてみようと思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶