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四国遍路1200年の旅。 四国八十八ヶ所、別格二十霊場、三十六不動霊場を 旅しながら、弘法大師さまの足跡を辿りたいと思います。

大覚寺①嵯峨天皇と弘法大師さま

2015年春の大覚寺です。桜の名所でもあり、枝垂れ桜が美しいです೭੧(❛▿❛✿)੭೨
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山です。嵐山嵯峨野に鎮座する広大な寺院で、やはりこちらも嵯峨天皇弘法大師さまに縁のあるお寺です。
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正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所とも呼ばれます。
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。
御所といえば、京都御所もそうですが、かつての天皇のお住まいだったんですね〜♪(=ↀωↀ=)✧大沢池もあり、庭も広々としています。

嵯峨院大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。
弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。
最近では、女性向けの愛染明王写経セットも売られており、つい可愛くて写経をしてみたくなる感じでした。
WEBでも通販しており、私も近いうちに買ってみようと思います೭੧(❛▿❛✿)੭೨

延暦13年(794)、桓武天皇は「山背」を「山城」と改め、新都・平安京に遷都する。桓武天皇ののちに即位した平天皇は、病身のため弟の嵯峨天皇に在位わずか3年で譲位するが、平城上皇の平城古京への復都、薬子の乱などの政変によって政局は動揺していた。
いつの時代も大変な事が多々あると思いますが、平安時代天皇をはじめ苦労の耐えない時期があったのですね(;^_^A
遷都から15年、大同4年(809)に即位した嵯峨天皇は、律令よりも格式を中心に政治を推し進め、ようやく平安京は安定をみる。 一方で嵯峨天皇は、都の中心より離れた葛野の地(現在の嵯峨野)をこよなく愛され、檀林皇后との成婚の新室である嵯峨院を建立、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。

嵯峨天皇は、唐の新しい文化を伝えた入唐求法の僧侶たちにも深く帰依された。その代表が弘法大師空海であり特に恩寵を賜り、弘仁7年(816)には高野山開創の勅許を得、同14年(823)には東寺も下賜され、真言宗の立教開宗に至った。

弘仁9年(818)の飢饉に際して嵯峨天皇は、弘法大師の勧めにより一字三礼の誠を尽くして般若心経を浄書され、その間、檀林皇后は薬師三尊像を金泥で浄書、弘法大師嵯峨院持仏堂五覚院で、五大明王に祈願した。このときの宸筆・般若心経は、60年に一度しか開封できない勅封心経として現在も大覚寺心経殿に奉安されている。

嵯峨天皇平安京を安定して治めるべく重要な御役目を果たせるから、生まれるべくして任せられたお方だったのでしょうね(❛ᴗ❛人)✧今の京都の礎を作られたのだと思うと素晴らしいです!唐より帰られた弘法大師さまたちに深く帰依された事も、後々まで良い影響を与えていますね(❛ᴗ❛人)✧

そしてやはり弘法大師さまといえば、明王さま(❛ᴗ❛人)✧こちらには5人の明王さまが勢揃いされているのも見応えがあります。明王さまについては、また長くなりそうなので、次回以降に書いてみようと思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶