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四国遍路1200年の旅。 四国八十八ヶ所、別格二十霊場、三十六不動霊場を 旅しながら、弘法大師さまの足跡を辿りたいと思います。

四国八十八か所65番札所 由霊山 慈尊院 三角寺

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私達は2015年の夏に行きましたが、愛媛県四国中央市のかなり深い山奥にあります。近くには別格と不動霊場を兼ねている三角寺奥の院 仙龍寺もあります。境内は古い木や植物、三角の池があり綺麗です。三角の池は、昔弘法大師さまが不動明王の仏像を彫り三角の護摩壇を築いて修法されために場所にあります。これがお寺の名前となっています。

山内は樹齢3、400年の桜が爛漫となる名所である。伊予最後の霊場で、標高は約430m、平石山の中腹にある静かな境内。
縁起では、聖武天皇(在位724〜49)の勅願によって、行基菩薩が弥勒の浄土を模して具現するために開創したと伝えられる。その後、弘仁6年(815)に弘法大師が訪れ、本尊の十一面観音像を彫造して安置された。さらに、大師は不動明王像も彫られ、三角の護摩壇を築いて21日間、国家の安泰と万民の福祉を祈念して「降伏護摩の秘法」を修法されたという。この護摩壇の跡が庫裡と薬師堂の間にある「三角の池」の中の島として現存し、寺院名の由来ともなっている。また、嵯峨天皇(在位809〜23)の厚い信仰をうけ、寺領300町歩をいただき、七堂伽藍を備えて寺運は隆盛だったと伝えられる。
だが、長宗我部軍の「天正の兵火」に遭い、本尊以外を焼失した。現在の本堂が再建されたのは嘉永2年(1849)で、昭和46年に修復されている。

本尊は古くから開運厄除けの観音・安産子安の観音さんとして、信仰を仰いでいる。ご祈祷をうけたお守りと腹帯が授けられ、また、「子宝杓子」といって、子宝に恵まれない夫婦が寺で杓子を授かり、仲良く食事をすると子宝に恵まれると伝えられる。子供を授かった後に、新しい杓子と授かった杓子をもってお礼参りをする。

かなりの山奥でした(;´Д`A台風で通行止めになっていました。歩き遍路の方々は元より車で来られる方も、天候には注意が必要です。
さらに山奥に、三角寺奥の院である仙龍寺があります。こちらは別格二十霊場と三十六不動霊場を兼ねています。龍神伝説や弘法大師さまが護摩手法をされた洞窟などもあり、由緒あるお寺でおススメです(^-人-^)ニャ無

四国八十八か所35番札所 醫王山 鏡池院 清滝寺

縁起によると、養老7年に行基菩薩が行脚していたところ、この地で霊気を感得して薬師如来像を彫造した。これを本尊として堂舎を建て、「影山密院・繹木寺」と名づけて開山したのが初めと伝えられている。弘法大師が訪ねたのは弘仁年間(810〜24)のころ。本堂から300mほど上の岩上に壇を築き、五穀豊穣を祈願して閼伽井権現と龍王権現に一七日の修法をした。満願の日に金剛杖で壇を突くと、岩上から清水が湧き出て鏡のような池になったという。そこで山号や院号、寺名を現在のように改め、霊場とした。
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私達が車で行った道はかなり山道でした(;^_^A境内へ着くと見晴らしが良く、そこには15メートルの高さの厄除け薬師如来立像がおられました(❛ᴗ❛人)✧
ご本尊が薬師如来さまなのですが、外にも大きな薬師如来さまがおられるとは!驚きです(❛ᴗ❛人)✧
しかも、なんと台座の中で88段の戒壇巡りができるのです(❛ᴗ❛人)✧真っ暗な暗闇の中に階段があり、手探りで歩きます(;^_^A恐る恐る歩きました。薬師如来さまの胎内に居るという、何とも有り難い貴重な経験でした。薬師如来さま、ありがとうございますm(_ _)m中には明るい場所があり、そこに辿り着くと、中には身がわりの御守りを売っていました(❛ᴗ❛人)✧薬師如来さまなので、病気などに御利益がありそうですね。
薬師如来 オン コロ コロ センダリ マトウギ ソワカ

四国八十八か所73番札所 我拝師山 求聞持院 出釈迦寺

空海弘法大師)が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り、「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に供養します」と願い、山の断崖から谷へと飛び降りた。すると、落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ、「一生成仏」と宣し、彼の願いが成就された。感激した空海は、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
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こちらの弘法大師さまの像から少し坂道を登った所にお寺があります。後方に伝説の山がありました(ↀДↀ)✧奥の院まで行きたかったのですが、かなり山を登らねばならない感じでした(;^_^Aむ〜、弘法大師さまマニアの私としては、目前にして行けず残念でした(;´Д`)それくらいに、この場所は弘法大師さまを語る上で有名です(∩´∀`)∩スンバラスィ♪
そういえば、この前のぶっちゃけ寺という朝日系列の番組で、この奥の院までお坊さんが行かれていました(^ω^)行けなかった場所や行きにくい場所を見られる番組は良いですね。この番組はためになる話もありますし、仏像や神社仏閣がよく出てくるのでオススメです\(^o^)/
私はお寺に売っていた弘法大師さまの幼少時のエピソードがプリントされている手ぬぐいを買いました(❃´◡`❃)またホームページでも公開したいなと思いますm(_ _)m

四国八十八か所第45番札所 海岸山 岩屋寺④弘法大師さまと不動明王さま

 「まだ先があるよ。長いし、疲れるけど頑張ってね(❃´◡`❃)」そう下りを歩く年配の女性の参拝者の方に、ご親切に教えていただきつつ、ひたすら歩きます(;^_^A行き交うお遍路さん達と挨拶を交わしながら、山を登って行きます。杉の木立が多く、山深い場所にあります。歩き疲れた頃に、ようやく私たちは岩屋寺の境内へ辿り着きました。ちょうど去年の真夏の頃でしたσ(^_^;)とても暑かったです。

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標高700m。奇峰が天を突き、巨岩の中腹に埋め込まれるように堂宇がたたずむ典型的な山岳霊場である。神仙境をおもわせる境内は、むかしから修験者が修行の場としていたようで、さまざまな伝承が残されている。本当に、不思議な場所です。他のお寺とは違う雰囲気もありますし、京都や奈良でもこの様な光景を見た事がありません。まさに稀に見る霊地だと思いました。

弘法大師さまは実際にこの霊地を訪れています。空中を自在に飛行できる神通力を身につけたという法華仙人は、大師の修法に篤く帰依し、全山を献上しました。大師は木造と石造の不動明王像を刻み、木像は本尊として本堂に安置し、また、石像を奥の院秘仏として岩窟に祀り、全山をご本尊の不動明王として護摩修法をなされました。

弘法大師さまが仏様の中で一番ご縁の深い不動明王さまが、この霊地におられます。弘法大師さまにとっても、この場所は特別な場所であったようです。

伊予の国の出身である一遍上人(1239〜89)が鎌倉時代の中期にこの古刹で参籠・修行したことは、『一遍聖絵』にも描かれています。かの有名な一遍上人たちも、弘法大師さまがこの地で修行した事に習い、岩窟などで自ら修行し精進されておられたそうです。

13世紀末ごろまでには不動尊像をはじめ、護摩炉壇、仙人堂、49院の岩屋、33の霊窟などがそのまま残っていたと伝えられる。

テレビで観たのですが、この岩山の霊窟をドローンで撮影していました。古くから岩穴の一つに秘仏がおられるとの言い伝えがあったためです。肉眼では見づらいですが、お寺のある場所から岩穴のほうを見ると、少しだけ仏様が見えるようです。確か本堂と大師堂の間の階段だったかな?ちょっと忘れてしまいました。すみませんσ(^_^;)私もいつか再訪した時に見てみたいと思います(❛ᴗ❛人)✧

大覚寺①嵯峨天皇と弘法大師さま

2015年春の大覚寺です。桜の名所でもあり、枝垂れ桜が美しいです೭੧(❛▿❛✿)੭೨
弘法大師空海を宗祖と仰ぐ真言宗大覚寺派の本山です。嵐山嵯峨野に鎮座する広大な寺院で、やはりこちらも嵯峨天皇弘法大師さまに縁のあるお寺です。
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正式には旧嵯峨御所大覚寺門跡と称し、嵯峨御所とも呼ばれます。
平安初期、嵯峨天皇が檀林皇后とのご成婚の新室である離宮を建立されたが、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。
御所といえば、京都御所もそうですが、かつての天皇のお住まいだったんですね〜♪(=ↀωↀ=)✧大沢池もあり、庭も広々としています。

嵯峨院大覚寺となったのは、皇孫である恒寂入道親王を開山として開創した貞観18年(876年)である。
弘法大師空海のすすめにより嵯峨天皇が浄書された般若心経が勅封(60年に1度の開封)として奉安され、般若心経写経の根本道場として知られる。
最近では、女性向けの愛染明王写経セットも売られており、つい可愛くて写経をしてみたくなる感じでした。
WEBでも通販しており、私も近いうちに買ってみようと思います೭੧(❛▿❛✿)੭೨

延暦13年(794)、桓武天皇は「山背」を「山城」と改め、新都・平安京に遷都する。桓武天皇ののちに即位した平天皇は、病身のため弟の嵯峨天皇に在位わずか3年で譲位するが、平城上皇の平城古京への復都、薬子の乱などの政変によって政局は動揺していた。
いつの時代も大変な事が多々あると思いますが、平安時代天皇をはじめ苦労の耐えない時期があったのですね(;^_^A
遷都から15年、大同4年(809)に即位した嵯峨天皇は、律令よりも格式を中心に政治を推し進め、ようやく平安京は安定をみる。 一方で嵯峨天皇は、都の中心より離れた葛野の地(現在の嵯峨野)をこよなく愛され、檀林皇后との成婚の新室である嵯峨院を建立、これが大覚寺の前身・離宮嵯峨院である。

嵯峨天皇は、唐の新しい文化を伝えた入唐求法の僧侶たちにも深く帰依された。その代表が弘法大師空海であり特に恩寵を賜り、弘仁7年(816)には高野山開創の勅許を得、同14年(823)には東寺も下賜され、真言宗の立教開宗に至った。

弘仁9年(818)の飢饉に際して嵯峨天皇は、弘法大師の勧めにより一字三礼の誠を尽くして般若心経を浄書され、その間、檀林皇后は薬師三尊像を金泥で浄書、弘法大師嵯峨院持仏堂五覚院で、五大明王に祈願した。このときの宸筆・般若心経は、60年に一度しか開封できない勅封心経として現在も大覚寺心経殿に奉安されている。

嵯峨天皇平安京を安定して治めるべく重要な御役目を果たせるから、生まれるべくして任せられたお方だったのでしょうね(❛ᴗ❛人)✧今の京都の礎を作られたのだと思うと素晴らしいです!唐より帰られた弘法大師さまたちに深く帰依された事も、後々まで良い影響を与えていますね(❛ᴗ❛人)✧

そしてやはり弘法大師さまといえば、明王さま(❛ᴗ❛人)✧こちらには5人の明王さまが勢揃いされているのも見応えがあります。明王さまについては、また長くなりそうなので、次回以降に書いてみようと思います٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

東寺①五重の塔

2015年の春に撮影した、満開の桜と、東寺五重の塔です。最近の写真ですね。私も色々な季節に行きましたが、春は一番おすすめです೭੧(❛▿❛✿)੭೨五重の塔の周囲に桜がたくさん咲いていて、美しい枝垂れ桜もありました( ^ω^ )女性や、花が好きな方には喜ばれる季節だなと思いました。
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東寺嵯峨天皇より弘法大師さまに下賜されました。嵯峨天皇は、弘法大師さま、弘法大師さまと唐に渡られた橘逸勢と並ぶ三筆の1人です。弘法大師さまともよくご交流されておられたそうで、仲良しの間柄です(❛ᴗ❛人)✧エピソードも色々あります。また調べてみますね。平安時代ってなんだか素敵〜!೭੧(❛▿❛✿)੭೨

夢枕獏さんの小説もおすすめです!

この五重の塔には、弘法大師さまが唐より持ち帰った仏舎利と、立体曼荼羅が収められています。毎年期間限定で特別公開されています。私も行きました!でも弘法大師さまを深く知ってからはまだです(^_^;)また行ってみたくなりました。

五重塔の初層内部には、極彩色で彩られた密教空間が広がっています。
五重塔の各層を貫いている心柱(しんばしら)は、大日如来として、その周りを四尊の如来八尊の菩薩が囲んでいます。さらに、四方の柱に金剛界曼荼羅を描いています。
また、四面の側柱には八大龍王(はちだいりゅうおう)、壁には真言八祖像を描き、真言の教えが弘法大師空海に伝えられた歴史を表しています。


そういえば、夢枕獏さんの小説は漫画にもなっています!漫画ならではの良さがあります。絵は今風な感じで、私は読みました。良かったです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶絵になった橘逸勢空海さんが素敵です೭੧(❛▿❛✿)੭೨表紙の空海さんがカッコ良い!!

四国八十八か所第75番札所 屏風浦五岳山 善通寺①五重塔と五岳山

香川県善通寺市にあります善通寺です。弘法大師さまのご生誕の地としてとても有名です(❛ᴗ❛人)✧和歌山県高野山京都府東寺とともに、弘法大師三大霊場と数えられます。伽藍は唐での空海の師であった恵果が住していた長安の青龍寺を模して建立されたとの話。境内はとても広く、東院、西院と分かれています。下の写真の五重塔などの重要文化財が豊富です。

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五重塔は非常に高かったです!٩(๑❛ᴗ❛๑)۶迫力がありました!!眺めていると、沢山の鳩が集まって来て和みました。

弘法大師さまが幼い時に土で仏像を作っておられた仙遊寺などがございます。お大師さまは仏像作りの名人で、高野山南院にある波切不動明王は物凄く気迫に満ちた迫力があります!!(❛ᴗ❛人)✧私は図書館で本を借りて写真を見ただけなんですが(*ノε` )σいつか本物を見てみたいですね〜٩(๑❛ᴗ❛๑)۶

山号の五岳山は、香色山(こうじきざん)・筆山(ひつざん)・我拝師山(がはいしざん)・中山(ちゅうざん)・火上山(かじょうざん)の5つの山の麓(ふもと)にあることから命名された。

→やはり御誕生所に五大明王さまがいらっしゃるなと思いました(❛ᴗ❛人)✧

五大明王(ごだいみょうおう)は、仏教における信仰対象であり、密教特有の尊格である明王のうち、中心的役割を担う5名の明王を組み合わせたものである。本来は別個の尊格として起こった明王たちが、中心となる不動明王を元にして配置されたものである。

五大明王の配置

東寺にいらっしゃる五大明王さま達です。よく国内の山々の峰にいらっしゃいます。弘法大師さまが幼い頃から、既に見守っておられた気がします。土で仏像を作っておられる姿を微笑ましく見ておられたように思います。